top of page
IMG_9138.jpg

施設案内

長屋門

建築年代:天保2年(1831)。国指定重要文化財。

全長25m、幅5mにも及ぶ長大な長屋門で入口の左右には、馬をつないだと思われる三角形の石が等間隔にが並びます。

門構えは総欅造り。門扉は欅(けやき)の一枚板で、門柱と「八双金具」で支えられています。

両側の東西蔵は、年貢米などを保管していたものと思われます。

蔵の内壁は白漆喰(しっくい)仕上げの真壁造りで、米俵などで壁が傷まないよう、内壁全体に矢羽状に板が貼り詰められています。

小屋組は天井は高く、太い丸太が5重に組まれた重厚な造りとなっています。

向蔵

・建築年代:天保4年(1833)。国指定重要文化財 ※長屋門から2年後に完成
・土蔵造りの2階建で、主に宝物類を納めており、吉田家の蔵の中でも最も格式の高い上質な造りとなっています。

新蔵

・建築年代:天保4年 (1833)。国指定重要文化財 ※向蔵と同時期に建設
・木造2階建て。1階の壁はねずみ漆喰、2階は白漆喰仕上げています。
“ねずみ漆喰”とは漆喰に灰を混ぜたもの。徐々に水分が抜け色が薄くなっています。
・主に農具類を収めており、壁にかけられている梯子なども当時のものです。

道具蔵

kura-dougu.jpg

•建築年代:慶応3年(1867)。国指定重要文化財。
・木造2階建て。壁は下見板張り仕上げ。主に建具や醤油醸造の道具、日常品などを納めていました。
・比較的簡素な造りですが、外観は長屋門や東西塀とともに、一体感を構成する重要な要素となっています。

庭井戸

井戸2.jpg

建築年代:嘉永6年(1853)
主屋南庭に設置された井戸は、その後、文久元年(1861年)に表通りへの敷石施工と併せて敷石が敷かれ、現在の状態となりました。
地上部の方形の井筒は、輝石安山岩の一種である小松石でできており、神奈川県真鶴周辺で採掘されます。
井戸屋形は明治27年の銅版画や古写真を参考に復元されたものですが、ツルベを上げ下げする滑車は当時のものです。

西門

西門.JPG

建築年代:安政3年(1856)。国指定重要文化財
幅1間の構造を持つ伝統的な薬医門で、かつて敷地の西側にあった醤油醸造場と居宅とを隔てる役割を担っていました。中門とも呼ばれます。

主屋

主屋.jpg

建築年代:嘉永6年棟上、嘉永7年(1854)竣工。国指定重要文化財
桁行11間(20.4メートル)、梁間5間(10.1メートル)の平屋建で、屋根形状は寄棟造り茅葺の建物で、旧い主屋を建替えたものです。
重厚な茅葺き屋根は軒先の厚みが1メートルを超え、それを支える出し桁が壁から2.5メートルも伸びています。間取りは、西側に広いドマを設け、中央にミセや後に増設された帳場座敷、東側に式台玄関を構えています。玄関より渡り廊下を経て書院に繋がる動線は、主屋と書院が同時期に設計建築されたことを示しています。
ドマにはかつて大きなカマドがあり、その上の天井の梁には丸太に篠竹と荒縄を巻き付け、その上を漆喰で塗り固めるという特殊な防火対策が施されています。

書院

書院.jpg

建築年代:嘉永7年(1854年)竣工。国指定重要文化財。
本建物は、寄棟造で桟瓦葺を採用し、屋根には段差のある錣葺(しころぶき)の特徴的な形状が見られます。庭に面した三方向には広々とした縁側が設けられており、格式高い客間の趣が感じられます。
間取りは12畳半の前座敷と奥座敷が並び、間仕切りとして設けられた襖の上には、繊細な花菱組子の欄間が配置され、優雅な印象を与えます。また、奥座敷の床の間脇には付書院が設けられています。
柱はすべてツガ材の柾目が多用され、長押と交差する箇所には六葉の釘隠しを採用しています。さらに床脇の違い棚の上の小襖には、幕府御用絵師として知られる狩野家十代目で最終当主の「勝川院法印(狩野雅信)」による落款が施されています。

新座敷

新座敷.jpg

建築年代:慶応元年(1865)。国指定重要文化財。
二間続きの座敷が二組(前座敷・奥座敷)矩折に並ぶ、家族のプライベート空間です。壁は耐火性と経年劣化に強い聚楽仕上げ(きめの細かい砂壁)です。前座敷の床の間は、棚と平書院を組み合わせたユニークな造りとなっており、床の横には布団などを収納する押し入れが備わっています。奥座敷の六畳間と八畳間の間には、亀の透かし彫りが美しい板欄間が入ります。
東側には枯山水の庭と背後に竹林を望む新座敷庭園があり、明治期の銅版画にも描かれているサワラとスギの大木が残っています。


 

bottom of page